ニノの結婚

 久しぶりのブログがまさかこんなネタになるとは・・・

 実はまた体調を崩して春から夏にかけて調子の悪い日々を過ごしていた。

 秋ごろからようやく安定してきて、今度は崩さないようにかなり注意して過ごしている。あまりブログを書く暇もなかったけど、ようやく落ち着いてきたのに・・・

 

 私は以前から嵐が結婚したらショックはあってもファンを辞めることはないだろうなと思っていた。元々ジャニーズファンでもアイドルファンでもないし、彼らの音楽から好きになったので、彼らは何も変わらない。結婚したらファン辞めるという人を見て、そんなことで?と思っていた。

 ただ、実際にその事態になってみると想像以上にショックが大きく、どう受け止めていいのか分からなかった。

 今年の始めの休止発表を乗り越え、ネット解禁・国民祭典で盛り上がり、これからのライブ・アジアツアー・来年の国立、あと一年ちょっとを全力で楽しもうってときに、そりゃないぜって感じだった。来月には一生に一度かもしれないとずっと前から楽しみにしていたライブへ行く予定だった。そんなときになぜ?と。彼らに対して初めて不信感を持ってしまった。

 

 案の定ファンは擁護派と否定派、受け止められないけどとりあえず応援する派、静観派、さまざまに別れて大荒れである。

 たぶんどんなやり方でも、どんなタイミングでも、相手が誰でも、彼らほどの人気アイドルなら荒れるのは避けられなかったと思う。だからこうするしかなかったのかもしれない。今回たしかに相手がどうとかタイミングとかやり方とか色々引っかかるところはあるが、どんなやり方が正解だったろう。それは分からない。

 

 私はずっと、彼らは結婚はどうするのだろうと思っていた。今のままでは無理なんじゃないか。たぶん、彼らならきっとファンが納得するようなやり方をしてくれるとどこかで期待していたのだろう。休止発表のときも、SNSを開設するときも、ファンに寄り添って、言葉を尽くしてくれた彼らだ。きっと結婚のときもファンを思ったやり方をしてくれるだろうと。

 それが今回は何のフォローも説明もなく、コンサートでも一切その話題を出さなかった。だから彼らの考えがよく分からなかった。

 休止までは結婚はないだろうとどこかで思い込んでいたのもある。休止まではファンのことだけ考えてくれるだろうと。それが裏切られたことがショックだったのだと思う。

 考えてみたら私たちは彼らに甘えていたのかもしれない。いつも優しく、完璧でいてくれる彼らに、自分の願望を押し付けすぎていたのかもしれない。

 当然ながらニノの人生はニノのものだ。どんな相手を選ぶか、どのタイミングで決断するかは彼にしか決められない。ファンに決めることはできないのだ。

 私は相手の人は誰でもいいし、あまり知りたいと思わない。ファンの間ではいろいろ言われているが、実際にどんな人なのかはネットの情報だけでは分からない。それでも彼が選んだ人なのだ。他人がどうこう言うことではないと思う。

 その人を信じることは、その人の選択を尊重することなのだと思う。

 

 とはいえ、まだ受け入れることはできない気持ちもあり、ただ苦しい。本当に好きだったからこそ傷つく気持ちも大きい。ファンのことを大事にしてくれて、いつも優しくしてくれたからこそ苦しい。優しさとは罪だ。ファンタジーの世界を見せてくれていたからこそ、現実に引き戻されたような気がする。

 

 私の夢は彼らが結婚しても、年をとっても、ずっとステージに立ち続けてくれることだった。私たちと一緒に年をとっていって、ずっと憧れでいてくれることだった。

 でも、それは彼らが家庭を持つかもしれないということでもある。それがこんなに苦しいとは思わなかった。そしてそれがあと4回もあるなんて、一瞬ファン辞めようかと思ってしまった。

 ちなみに私は贔屓のメンバーがいるわけではなく5人全員が好きなので、5人分傷つくことになる。なんてことだ・・・

 

 でも、休止のときの方が辛かった。私にとってはグループが存続しなくなることの方が辛い。解散、脱退、病気、犯罪などはどのバンドやグループでもあることで、実際そういうグループもたくさんあった。そうなった方がよっぽど悲しい。

 

 正直、休止と結婚で、彼らが今まで築いてきたものさえも崩れていくんじゃないかと思った。たぶんそれは錯覚だ。彼らのやってきたことはなくなるわけではない。もらったものも消えるわけじゃない。

 未来はどうなるか分からない。今年一年で実感した。今は彼らの「同じ夢を見よう」「嵐を巻き起こしたい」という言葉の先にあるものがどういうものなのか、それを見てみたい。嵐はどうなっていくのか。何を目指そうとしているのか。

 そしていつか、今回のことも心から納得できる日が来るといいなと思う。

SMAPと嵐は全然違う

 嵐はSMAPと比較されることが多い。SMAP ファンの人に「嵐はSMAPになれない」とか「SMAPは別格」などと言われる。(特に解散騒動で嵐は理不尽に叩かれた。前から対立はあったかもしれないが、騒動でひどくなった)

  それに対して嵐ファンが「嵐はもうSMAPを越えてる」「売上は嵐の方が多い」とか言って、それで揉めていることが多いような気がする。

 私は嵐のファンだが、世代的にはSMAPもずっと見てきて好きな歌やドラマもけっこうある。

 この2グループは同じ事務所なので同じようなグループで、嵐はSMAPの後釜だと思っている人もいるかもしれない。

  しかしこの二組は全然違うと私は思う。

 

 SMAPは主にテレビの活躍が大きかった。SMAP×SMAPでコントをやったり、料理をしたり、司会もやったり、アイドルとしては色々と新しいことをしてきた。

 嵐はCDやDVDの売上が高く、音楽面でセールスを伸ばしてきた。

  嵐はよく「代表曲がない」「曲知らない」等と言われるが、正直私にはそれが重要なことだとは思わない。みんなが知っている曲がそれほど大事だと思わない。そもそもみんなが知ってる曲が一曲あったとしても「一発屋」とか言われることもある。ずっと売れ続ける方がすごいと思う。

   みんなが知ってようと知っていまいと良い曲は良いのだ。知らないなら聴いてみればいいだけのことだと思う。音楽ってみんなが全然知らない曲の中に名曲が隠れていることはよくあるから、何でそんなにみんなが知っているか知らないかにこだわるのかさっぱり分からない。

  また、SMAPが売れた時代はCDが売れる時代で、歌番組も多くあった。

 しかし今はCDが売れない時代で、歌番組も数えるほどだ。曲が浸透することは難しい。

 嵐はテレビでの活動も多いが、音楽活動に力を入れていると感じる。

   彼らのCDはカップリングやアルバム曲に挑戦的な曲が入っており、アルバムやDVDの売上が高く、音楽シーンを引っ張ってきた。

 それから高く評価されているのはライブで、松潤が演出を手掛けている。

 アルバムのコンセプトに沿ってライブ空間を作り上げ、一つの世界を作り出している。曲の流れや衣装や演出の一つ一つにまでこだわって作っている。

 それにメンバーが高い集中力と表現力で、ファンを楽しませる。なんだか職人のようだと思う。

 アイドルは(特にジャニーズは)偏見の目で見られ、正当に評価されないことも多い。彼らはその中で活動を続けている。

  SMAPは一般の人に興味を持たせることが上手いが、嵐は一般の人を自分たちの世界に引き込むのが上手いと思う。

  私はジャニーズ自体に詳しくはないので、ほかのグループについてはよく知らないし、嵐はファンなのでよく知っているが、SMAP についてはお茶の間でしか知らない。なのであくまでも私見だが、「SMAP はジャニーズらしくない」「嵐は王道のジャニーズアイドル」とよく言われるのは割と逆だと思っている。良くも悪くも嵐は一般の人には魅力が分かりにくいところがあり、SMAP は話題性を集めるような派手なことをよくしていたと思う。

  この2組について、ファンは比べないでほしいと思うが、世の中の人はどうしても比べてしまうのかもしれない。ただ、この2つのグループは全然違うからこそ良いし、嵐はSMAPと違うからこそトップアイドルになれたと思う。「SMAPと比べてオーラが〜代表曲が〜何々が足りない」と言われるけど、SMAPと同じところを伸ばしてもしょうがないじゃないか。同じグループは2つもいらないのだ。嵐はひとりひとりの名前を覚えてもらうこと、みんなが歌える曲を出すことを目指していない。そもそも同じ事務所といってもほとんど共演がなかったのだから交流はなかったと思う。だからそこまで影響を受けた部分はなかったかもしれない。

 

  嵐は個人個人よりグループであることを大事にしている。個人の名前よりもグループを売っていくことの方が大事なのだ。グループとしてのまとまり、調和を大事にしているのだ。それから身近さや親近感。それは嵐にあってSMAPにないものだと思う。よくSMAPにあって嵐にないものばかり言われるけどそれはフェアじゃない。SMAPは個々の力が強いのに対して嵐はチーム力が強い。2組は真逆だと思う。

 

  嵐にはファンクラブ会員も多く、CDやDVDの売上も多い。それをよくアンチは「嵐はヲタクに人気だから」と言うけど、CDやDVDを買おうと思わせることだってなかなか大変である。いくらテレビで人気があってもCDやDVDの売上が少なければ音楽活動はできない。CDを出すにもライブをやるにもお金がかかるのだ。「ファンに人気なだけ」と言うが、ライブとはそんなに誤魔化しの効く場なのだろうか。ライブに行くのはファンじゃない人も多いし、満足させなければ次からは来ないかもしれない。ファンなら何でも受け入れるという人ばかりじゃないし、イマイチな活動をしていたら冷める人もいるだろう。

 

   バラエティでは親近感や仲の良さを感じさせて、ステージではカッコいい姿でギャップを見せる。それは嵐が目指してきたアイドルの形である。

 

  「SMAPはアイドルとして道を切り開いてきた。ほかのグループはそれに乗っただけ」という意見は「最初にバンド作って売れた奴はすごいけど後から出てきたバンドはそれを真似しただけ。何も努力していない」と言うのと同じくらい暴論だと思う。

 

  嵐の曲は学校の運動会や卒業式で使われていたりする。嵐の曲が町の吹奏楽団で演奏されていたりしてファンの私が驚くときもある。昔SMAPが国民的アイドルだったように今は嵐が国民的アイドルなんだなと感じる。特に若い世代にとってはスターという存在なんだと思う。もちろんすごく年上の人からも人気があって、それが国民的ということだと思う。アンチが言うように「ジャニヲタ」だけしか人気がなければ国民的にはなれないだろう。

 

  これから2組のように国民的アイドルは出てくるのだろうか。スターが生まれにくくなっていると言われている現代で。もうすでに時代は移り変わっている。SMAPは解散し、嵐は休止を控えて、次の段階に入ろうとしている。

  SMAP 世代の人はSMAP を特別視するが、誰だって自分の中のスターは唯一無二だ。SMAP 世代はSMAP がスターだし、嵐世代は嵐がスターである。いつまでも過去に引きずられている場合じゃないのだ。(それにしても解散騒動は色々とひどかった。裏側なんて知りたくもないし、知らせないでほしかった。騒動についてはまたどこかで書くかもしれない)

   

 

 

 

ネットについていろいろと思うこと

 私はネットが好きで、正直依存気味なときもあった。

 

   高校生くらいからネットをよくやっていた。ドラマの掲示板を見たり、好きなアーティストのファンサイトを見たり、好きな音楽の作品のレビューを見たり、自分で書き込みはせずに人の意見を見ることが多かった。

  今ではそれがSNSになり、ツイッターやブログだったりしている。ついつい1日に何時間もスマホに費やしてしまう。

  もはや多くの人がそれが当たり前になっている。

  気が付いたらスマホを開いてSNSを見て、すぐに呟きたくなってしまう。生活がスマホに支配されているようである。

 

  ネットは便利だし、知らない人ともつながれるし、いろんな情報も知れる。

  しかしツイッターをやっていて思うのは、考えが偏っている人が多いなということである。

  そして自分と違う考えを悪とする。テレビは嘘ばかり!新聞は悪!とか、嘘か本当か分からない情報が拡散されたり、すぐに何かの陰謀論に結びつけたり。

   何が正しくて何が間違っているか見極めるのは難しい。どうしても人間は自分の都合のいいように考えてしまいがちだ。ネットだとついつい自分の考えに合致する情報を集めてしまう。そしてつい感情的になってしまいがちだ。テレビの情報を都合のいいように編集して「情報操作してる」と言っている人も見たことがある。もちろんテレビの嘘をネットで暴いたり、テレビの情報操作を明らかにしたり、問題のある放送を指摘したり、良い面もあるのだが。

   自分の思うストーリーに沿った情報じゃないと「捏造だ」などと言い出す。自分の信じたい情報ばかりを信じるのである。

 

  また、SNSでは他人の考えや生活が見えて、自分と比較してしまう。幸せそうな人を見て嫉妬したり、他人の生活や考え方を見て自分がおかしいんじゃないかと思ったり。映画やドラマなどの評価でも、本来感想は人それぞれなのに、作品をこき下ろしたり、他人の感想を否定したり。

  ドラマなどは視聴率が0.1%上がっただの下がっただのが記事になっている。

  

  しかもネットは過激な表現が取り上げられやすい。感情的な言葉が多く拡散される。誰かを叩くときの執拗なまでの情熱も恐ろしい。

ドラマ「3年A組」で言っていた通りである。

よく知りもしないのに叩く。正しいか分からない情報に振り回される。言葉が凶器になる。

   ドラマ同様、ネットいじめで苦しんでいる人は多くいるだろう。

 

  ネットは自分の世界を広げることもできるのに、自分の見たいものしか見ないで、不都合な情報は受け入れず、世界が狭くなっている人が多い気がする。

 

   ネットではテレビを嫌う人がけっこういるが、 「テレビはいい加減なことばかり言って許せない、つまらない」ならネットはどうなのか。デマや捏造が平気で垂れ流されている。「ネットには真実もある」からそれは許されるのか。

   もちろんテレビでもネットでもおかしな点は改善していけばいいと思う。どちらかが善でどちらかが悪と決め付けるのは危険だと思う。

   

  今は情報が多すぎて、知らなくてもいい情報もたくさんある。「何を知るか」より「何を選ぶか」、「何を言うか」より「何を言わないか」が大事なんじゃないかと思う。ちょっとしたつぶやきが炎上につながるような社会だから。ネットに限らず情報との付き合い方は考えなきゃいけないと思う。それは自分の人生のためでもある。

 

3年A組を見て-他者への想像力を持つことは難しい-

  日テレのドラマ「3年A組-今から皆さんは人質です-」が面白い。菅田将暉演じる教師・柊が担当する生徒たち29人を人質に取り、学校に立てこもる話である。

  柊は卒業式の10日前、生徒たち全員を人質に取り、学校に爆弾を仕掛け、立てこもる。

  3年A組の生徒だった影山澪奈が数ヶ月前に自殺した真相を暴くことが目的だと言う。

 

  柊が生徒たちを前に「最後の授業」を始める。一人一人が自分たちがしてきたことの意味を知り、自分の頭で考えるために。

  柊の本当の目的は何なのか。黒幕は誰なのか。毎週気になる展開が続き、予想を裏切るような話が続いてきた。もう来週は最終回である。嵐のことがショックでドラマを見れずに、だいぶ録画がたまっていたけどようやく追いつくことができた。まぁ一週間待つことなく一気に見れたから良かったかもしれない。

 

  柊は生徒たちに「Let's think.」自分の頭で考えて答えを出しなさいと教える。他者への想像力を持て、自分のやった行動でどうなるか考えなさい、と。

 

  それはもっともな教えだけど、他者への想像力を持ったり、考えて行動することは全ての人がやることはとても難しいだろうな、と思った。人はどうしても自分がその立場に立ってみないと分からない。他人がどんなに苦しくても、辛い境遇にいても、それは「他人ごと」であり、自分や身内が同じ状態にならないと本当には理解できない。

  それは当然だし、全ての人に感情移入していたら生きていけない。「他人の痛みを自分の痛みのように感じてしまう人」はとても生きづらい。みんな自分のことだけで精一杯だったり、自分の身を守ろうとすることは不思議ではない。

 

  しかし、無知や誤解や偏見で他人を傷つける人が多いことも確かだ。SNSが発達して誰でも気軽に発信できるようになり、自分の発言ひとつで誰かを傷つけたり、1人の人を追い込んだり、間違った情報で正義を気取って人を叩く。ネット上で匿名で行われていることなので、罪の意識を持ちにくい。

 

  このドラマはそういった人たち、特に若者に伝えたいメッセージ性の強いものになっているのだろう。それが確実に伝わって、感動したという若者の反応を多く見た。

  小さいときからスマホがあるのが当たり前で、ちゃんとしたメディアリテラシーを教わっていない人たちもいたのかもしれない。まぁ何を教えても響かない人はいると思うが。でも、無知から来る問題はこういう風に教えこめばちゃんと伝わるんだなと少し嬉しかった。

 

  こういったドラマがきっかけで社会が変わることもあり得るし、これからはネット社会も少しだけでも変わっていくのかもしれない。それがテレビドラマの良さだなぁと思う。

 

  柊先生の授業を聴けなくなる、3Aの生徒たちに会えなくなることは寂しいけど、最終回も楽しみに待ちたい。

 

  

 

  

 

  

 

 

「昔は良かった」とは思わない

  よく「昔の方が良かった」「昔に戻りたい」などと言う人がいるが、私はそうは思わない。

今の方が確実に良くなっているし、今の時代に良いことだってたくさんある。

 

  昔は今よりセクハラ、パワハラが酷かったし、それが当たり前だった。男女差別も今より問題にならなかったし、同性愛とか病気とかに対する偏見も酷かったと思う。虐待や体罰も当たり前で理不尽にも黙って耐えるしかなかった。今ではちゃんと声を上げられるようになってきたのはいいことだと思う。

  日本人の社会的な意識や考え方は今の方が良くなっていると思う。人間は進化するものだし、どんどん便利になって、暮らしやすい世の中になっていることは良いことだと思う。

 

  「今はちょっとしたことがすぐ問題になる」とか「監視社会で窮屈だ」とかネット依存とかネットいじめといった問題があったり、「規制が行きすぎて表現の自由がない」というような意見もあるし、確かに今の社会は今の社会で問題も多いけれど、ネット社会になって良い面もあるし、一概に悪いことばかりではないと思う。

 

  「テレビも昔の方が面白かった」「今の音楽は良く分からない」「CDチャートがAKBとジャニーズばっかで今の子はかわいそう」「ドラマも映画も昔の方が面白いものが多かった」

  これについては、私は今のテレビも面白い番組もあると思っているし、今のドラマや映画も素晴らしいものもあるし、音楽は今の時代の方がみんなが自分の好きなジャンルの曲を探せるんじゃないかと思うし、アイドルの曲も昔より面白い曲が多いと思うし、ダンスや魅せるパフォーマンス等はレベルが上がっていると思う。

  私ははっきり言って小室ファミリーよりも星野源とか米津玄師とかの方が好きである。だから今の子はかわいそうとは全然思わない。

 

  しかも今の時代は昔の名作映画も観たいと思えば観れるし、昔の曲も聴きたいと思えば聴くことができる。いい時代だなと思うのである。

 

  でも私が学生時代にスマホがあったらスマホばかりやってしまって大変だったと思う。きっと依存していただろう。スマホがなくて本をたくさん読めたことは良かった。

 

  そもそも私は昔にあまり良い思い出がなく、今の方が楽しいと思うことが多い。だから昔の方が良かったと思わないのかもしれない。

 

  昔の思い出が輝いていて、それが今も残っているという人は素晴らしいと思うし、忘れられないこともいいと思う。自分が一番輝いていた頃のことが一番だと思うのは当然かもしれない。

 

  でも、私たちは今の時代を生きているのに、いつまでも昔の方が良かったというのはとてももったいないことだと思う。

  今の時代でも素晴らしいことはたくさんあるのだ。こんなに素晴らしいことも面白いものもたくさんあるのに、それを享受せずに過去ばかり見ているとしたら、それは今を生きていないということかもしれない。

 

  今の時代だからこそ、今の表現で、今の感性で、素晴らしいものを表現しようとしている人はたくさんいるのだ。それは有名な人ばかりじゃなくても、今はネットで誰でも発信できる時代だし、身の周りに面白いことは溢れている。

 

  もちろん「今の時代について行けない」「新しいものが苦手」という人もいると思うし、昔のものでも素晴らしいものはたくさんあるけど、私たちは「今」を生きているのだ。

  一つの基準でしか見れずに、今までにない面白いものを受け入れられないのはもったいないと思うし、損をしていると感じる。

  別に無理にとは言わないが、どんなものでも楽しもうと思えば楽しいし、文句ばかり言っても楽しくなることはない。

  

   私はいつも今の時代の面白いものを楽しんでいたいなと思う。

 

  

運動嫌いだけどヨガだけは続いている

 運動は嫌いである。しかし、運動不足はなんとかしなければいけないとは常々思っていた。

  うつになる前から運動不足は気になっていて、ヨガ教室があったら行ってみたりしていた。団体でやる運動は苦手なので、個人でできる運動がいいなと思った。リラックス効果があるということと、激しくなくて身体も柔らかくなるなら良さそうだと思った。でも、なかなか続かなかった。最初は身体が硬すぎて全然ポーズをとれなかった。周りの人と比べてしまい全然できなくて、体力もなくて、1〜2回ヨガ教室に行くだけで辞めてしまった。家ではたまーに思い出したようにポーズをとってみるだけだった。

 

  うつになってからは身体をほぐすこと、心を癒やすことが必要だと思い、いろいろと試してみた。アロマオイルを買ったり、お灸をやってみたり、足ツボを押してみたり、ヨガの本を買ってやってみたりした。

  一時期あれもこれもやらなきゃと思って全てが嫌になってしまったりもした。どこかで「毎日続けなきゃ」という思いがあって、ついつい無理してやってしまうこともあった。

 

  そのうちだんだんとやりたくない日はやらないようにしたり、無理はしないようにしていった。面倒になってやめてしまったものが多いけど、ヨガだけは今も続けている。

  初めのうちはがんばってポーズをとろうとして嫌になることもあったけど、だんだんと自分の体調に合わせて無理をしないようにできるようになった。「運動すること」よりもリラックスすることを心がけている。そして多少できるようになってきたらポーズを増やしたり、少しキツイポーズをとったり、時間を長くしたりと工夫するようになった。自分なりのペースで続けられている。

 やっぱり無理したり周りに合わせたりするのは良くない。自分が楽しいとか心地良いとか感じられることが一番だ。

 

  だんだんと身体を動かすことが好きになってきたので、水泳とか軽い運動をしてもいいかなと思い始めている。続くかは分からないけれど。

 

星野源DOME TOUR 2019「POPVIRUS 」名古屋2日目(ネタバレなるべくなし)

  昨年末に出た星野源のアルバムを買ったら、ライブの先行応募券が入っていたので申し込んだ。ドームだから取れるかなぁと期待半分で応募したら取ることができた。

 

  私は星野源のファンというほどでもないけど、有名になり出した頃から曲を聴くようになり、見事にハマった。ブレイクする前からCDショップ大賞を取ったりしていて、チェックしないといけないなと思っているうちに「恋」で大ブレイクしていた感じである。

  正直アルバムを聴く前はすごくイケメンなわけでもすごく歌が上手いわけでもないのに何で売れてるんだろうと思っていた。それが「YELLOW DANCER」というアルバムを聴いて一気にハマってしまった。こりゃ売れるわ。(嵐のときと同じこと言ってるし)曲がめちゃくちゃ良くて体が勝手に踊り出すような、センス抜群の曲ばかりで、すごく好きになった。

 

  よく「売れてる人は聴かない」というひねくれた人がいるけどもったいないと思う。売れる人には売れるだけの理由があるから素直にいいものが多いのだ。もちろん売れてるけど全然良さが分からないとか、全く趣味に合わないとかそういうことは当然あると思うし、それは普通のことだと思う。しかし売れている人にやたらとケチを付ける人も大人気ないなと思う。「自分の趣味に合わないな」でいいじゃないか。流行りものがたまたま合わないこともあるんだから。「メディアが流行りを作ってて気に入らない」とか「ゴリ押しが嫌」とか言う意見は分かるけども、まぁ流行りってそういうもんだと思うし、その中からいいものを探していけばいいと思う。

 

  でもいいものが必ず売れるとは限らないし、星野源がここまで売れている理由ははっきりは分からなかった。

 

  ライブでも星野源星野源だった。テレビで見たまんまで、自然体で飾らず、近所の兄ちゃんみたいに気さくで、派手な服も着ないで、普通の人みたいで、でも最高のエンターテイナーで、やっぱり音楽の天才だった。アーティスト然としているわけでもなく、MCはゆるいし、バンドメンバーとのトークはふざけてるみたいだし、変なVTRは入るし、お腹壊してるとか言うし声の調子も悪そうだったけど、でも最高に楽しくて面白くて魅力的な人だった。

 

  ドームなのに驚くほどシンプルな演出に、ただ音を楽しむためのような空間、ドーム全体がダンスホールのようで、みんなが「星野源の音楽」に酔いしれていた。自然と体が動き出すような曲たち。一緒に歌ったり、手拍子したり、踊ったり、思い思いに音を楽しむ空間。 星野源が確か前に「みんなに踊ってほしい」と言っていたけど、その通りになっていた。

  私の席はすごく上の方だったけど、「上の方の人の顔もひとりひとりちゃんと見えてますよ」と言ってくれたのは嬉しかった。私も全身で音楽に乗って一緒に歌ったりリズムを取ったりした。

 

  この人が売れたのはこの人自身の力なんだろうなぁ。気さくで飾らない、自然体で愛される人柄もそうだけど、何よりも「音楽の素晴らしさ」を多くの人が受け取ってるんだろうなぁと思った。文句なしにいい曲を作ってるというシンプルな理由で。そりゃ時代性が云々とか売り方が云々とかいろいろ理由はあるかもしれないけど、音楽の素晴らしさに多くの人が心を打たれたなら音楽好きとしてはちょっと感動だな。音楽好きの人は割とマイノリティだと私は思っていて、今は「ヒット曲がない」「知らない曲ばかり」と言う人は多い。あまり音楽に執着がないんだと思うけど、そう言う人たちにも届いたのだとしたらすごいことだ。

 

  個人的に私の大好きな曲を歌ってくれたことが本当に嬉しかった。すごく好きで何度も何度もくり返し聴いた曲。目の前で本人が歌ってくれることが嬉しくて泣きそうになった。

  行こうか迷っていたくらいだけど、本当に行って良かった。楽しくて楽しくて終わるのが寂しかった。3時間もあったのにあっという間に感じた。

 それにしてもドームを1人で埋められるのってすごいな。空席もほとんどなくて全部埋まってた。これだけのお客さんをみんな笑顔にさせて全身で踊らせて楽しませるのは本当にすごい。不思議で魅力的な人。

 

   嵐のことがあってから好きなアーティストにはずっと続けてほしいという気持ちが強くなっている。というか「いつまで続けてくれるんだろうか」と疑心暗鬼的な気持ちになってしまっている。やっぱり最後とかは考えたくはないんだ。これが最後だとか思うと立ち直れなくなりそうだ。ライブが一回終わるごとだってこんなにも寂しいのに。

 

  でも落ち込んでた気持ちもだいぶ元気になったよ。ありがとう、源さん。

 筋肉痛が辛いけどね。運動不足だな。