「アイドル」という偏見を超えて

 嵐の活動休止発表から2週間以上が過ぎ、だいぶ気持ちは落ち着いてきている。

  発表後しばらくは嵐の曲も聴けず、ライブDVDも見れず、嵐の番組を見ても複雑な気持ちになったりすることもあったが、今は毎日のように曲を聴いたりDVDを見たりしている。

 

  まだ心に大きな穴が開いたようで、すごく寂しくなったり、会見の言葉を思い出していろいろ考えてしまったり、休止後のことを考えて哀しくなったりしている。

  でも、段々と日常を取り戻しているなとは感じる。

 

  「たかがアイドルのことくらいで。」よく言われる言葉である。たしかに興味のない人にとっては理解できないだろうし、そんなことで大騒ぎしてるなんてと言う人もいるだろう。

  しかし、その言葉はアイドルに対する偏見を強く感じる。

  誰にだって大事な人や大切に思う存在はあるだろう。それがバンドでもアーティストでも、犬でも猫でも趣味でも仕事でも、それが生きがいなら同じだと思う。大事なものが無くなることは言いようのないほど辛いことだ。自分にはそんな生きがいなんかないよ、と言う人には分からないかもしれないけど・・

 

  嵐のことを「優等生」「正統派アイドル」と言う人は多いし、私もファンになる前はそう思っていた。ジャニーズが力を入れて売り出してるんだろうなー、人気だけどどこがいいんだろう、くらいに思っていた。

  それからたまたま嵐が出ている音楽番組を見て、「いい曲だな」と思い、そのパフォーマンスにも惹かれ、興味を持ったのでCDを聴いてみた。ベストアルバムだった。

  そしたら知っている曲ばかりで驚いた。その頃に見ていたドラマの主題歌やCMの曲が多くて、その当時の音楽番組もけっこう見ていたので、そこで嵐の曲が自然と頭に残っていて、曲を聴いたらその頃の記憶が蘇ってきた。自分でも知らないうちに嵐の曲と共に時代を過ごしてきたんだなぁと思った。

  しかも改めて聴くといい曲ばかりだった。歌番組で何度も聴いたはずなのに、こんなにいい曲だっけ?と再確認した。あと大野くんの歌が上手いことにびっくりした。バラエティではボーっとしていて変わった人だなぁと思っていたので、こんなに歌が上手いんだと驚いた。

  ほかのメンバーもみんな個性的な声質をしていて、それぞれの声に合ったパートを歌っていて、とても面白くて飽きないなと思った。何よりも5人の声の調和がめちゃくちゃいい!みんなで合わせるとキレイに重なって、とても心地よい声になる。5人の声もいいし、2人3人で歌うところもキレイに重なっていてすごいなと思った。みんな癖がなくて爽やかでまっすぐに響いてくる歌い方で、優しい声で、曲によって歌い方を変えたりと表現力も高い。リズム感や音楽センスも感じた。 私は歌が上手くても変な癖があったり、自分に酔うような歌い方の人は苦手だが、それがなかった。

  それからアルバムやカップリング曲も聴いて、その完成度の高さに驚いた。アルバム全体が1つの流れのようになっていたり、カップリングもこの一曲のためにお金を出してもいいというくらいの出来だった。嵐ってこんなグループだったのか!と衝撃を受けた。こりゃ売れるわ。

  私は割と洋楽が好きなのだが、大野くんが洋楽ばかり聴いて育ったと聴いて納得した。嵐の曲は洋楽っぽさがあり、R&B要素があって、その音楽性に惹かれたんだなぁと。

  私の中では彼らはアイドルというか優れたアーティストである。(もちろん優れたアイドルでもあるけど)

 

  「ジャニーズ」「アイドル」という偏見を私自身も持っていたなかで、嵐の魅力に気付けたことはラッキーだったと思う。

  彼らはみんなに夢や希望を与えられる「アイドル」であることに誇りを持っていると言った。ニノがハリウッドデビューしても「自分は俳優ではなくアイドルです」と言ったり、彼らは「嵐」であることを何よりも大事にしている。彼らを見ていてアイドルへの偏見が砕け散っていく感じがした。かっこいいと思った。

 

  ただ私はまだ活動休止の事実をうまく消化できていない。彼らは年々歌もダンスもうまくなっていて人気も絶頂の中で今休止することはほんとに勿体ないと思うし、あれだけ嵐本人たちが嵐のことを大好きなのにという気持ちがあったり、まだすっきりと納得できない気持ちもある。「自由になりたい」という言葉をどう受け止めればいいのか。あと2年で受け止められるのか。

  でもきっとあの人たちが長い間話し合って決めたことだから正しいのだろう。誰よりも嵐をよく分かっていて、とても賢いあの人たちが悩んで話し合って出した答えなのだから、きっとあの休止は必要だったと後から思えるようになる気がする。

 

 「もうアイドルという年齢じゃないんだし自由にしてあげれば」「よく20年も我慢してきたよ」などと言う人もいるけど、そういうことではない。嫌々ながら20年やってきたわけではないだろう。普通の人では味わえないような多くの人の歓声を浴びて、普通ではできないような多くの体験をしてきたのだから「可哀想」と言うのも違うと思う。ただ彼らの肩にとても大きな責任や重圧が何年ものしかかっていたのは確かだと思う。それは私たちが想像できないほど大きなものだったのかもしれない。

 

  あと2年、長いようで短いようなこの期間をどのように過ごしていけばいいのだろうか。

 

 

  

 

  

嵐 活動休止

 これから徐々に嵐のことを書いていこうかなと思っていた矢先、このニュースが飛び込んできた。

  猫に続いて嵐まで、厄年だろうか。

  と思ったら前厄だった😱

 

  私は前から嵐のファンで、魅力をちゃんと書かないとと思いつつ、書こうとしたらかなり長くなるかなと思ってなかなか書けないでいた。

 

  このニュースは想像以上にショックで、食欲もなくなり、夜もあまり眠れなかった。周りの人に言ったら「まだ2年もあるんじゃん」「別のグループ探せば」とか言われて、温度差にびっくりした。

  書きたいことは山ほどあるけど、私は自分が思うよりもずっと嵐が好きだったんだなと思う。いつかこうなるかなと想像したこともある。2年前のSMAPのときや、他グループの脱退などのとき。でも嵐だけは大丈夫だと思っていたし、それはまだ先だと思っていた。

  ファンにすら全く気付かせずに(薄々気付いていた人もいたみたいだけど)、1年半隠し続けたことはほんとにすごすぎて、プロ意識が高いと思っていたけれどここまでとは、と脱帽した。

 

  休止の一報から記者会見、その後の対応までそれは見事で、嵐の魅力が詰まっていた。皮肉にも今回のことで彼らの魅力が伝わり、ファンになったと言う人もいる。

  全員の頭の良さ、仲間を思いやる気持ち、グループとしての役割分担、意地悪な質問に切り返す賢さ、各方面に配慮した2年という期間、そして何よりファンへの優しさ。

  

  なぜかジャニーズやアイドルは差別したり、偏見で見る人が多い。嵐はこれまでそういった偏見の目で見られることが多かった。実は私も元々ジャニーズは苦手で、今でも嵐以外のグループには詳しくないけれど、嵐ファンだと言うと「ジャニーズ好きなの?」「ジャニーズはちょっと」などと言う人もいた。だから今回のことでジャニーズやアイドルという偏見を越えて「嵐」というグループの魅力に触れることになったなら、それは意味があったのかなと思う。

 

  とは言ってもまだまだショックで立ち直れないし、まだ気持ちの落としどころが分からない。大野さんが戻ってくるかも分からない。いや、翔さんが再開はありますと言ったから信じたいけども・・

 

  ひとまず2年間はしっかり応援したい。でも辛いし寂しいけど😫

  それから、今回嵐が思った以上にみんなに愛される国民的グループだと分かったことは嬉しかった。今まで「曲知らない」とか「ジャニヲタだけ」とか言われてきたので、全然そんなことないことが分かった。ジャニヲタどころか国内外で報道されて大きな話題になっているのだ。これにはファンの私もびっくりした。

 

  嵐にはまだまだ隠れた魅力がある。もしかしたらそれはこれから2年間かけてもっと多くの人に伝わっていくかもしれない。「ジャニーズの力」「いい年して仲良しアピール」などと言われた彼らが、成熟した大人の男性で、賢さと優しさを持った人たちだと少しでも伝わったなら良かった。

  今まで彼らはあまりにも忙しく、重圧を背負ってきたのはすごいことだし、普通の人だったらとっくに潰れていたんじゃないかと思う。並の努力じゃないだろうな。彼らはそれをずっと見せずにやってきた。ゆっくり休んでほしいという気持ちもありつつ、やっぱりすぐに戻ってきてほしいという気持ちもあり、まだまだ葛藤の日々は続いている。

 

 

減薬できた!

  今日病院に行ってうつ病がだいぶ良くなってきたと報告したら、「薬減らしてみましょうか」と言われた。やった!

  でも油断はできない。これまで何度も薬を辞めて、しばらくして再発するというくり返しだった。

  最初の頃は薬を飲むのが嫌で、勝手に自分で減らしたり中断したりしていた。今思うと恐ろしい😱精神科の薬は良くないものという思い込みがあった。

  今ではちゃんと先生の言うことを聞いてしっかり飲んでいる。

 

   最初の頃は先生のことも信用できなかった。今まで先生は何人もの人に変わった。別の場所に転院する先生が多かった。精神科は辞めたり変わったりする先生が多いと聞いたことがある。

   いい先生もいたし、全然話を聞かなかったり、冷たい対応をしてくる先生もいた。私は先生ならばもっと親身になって対応してくれると思っていたのでショックだった。いい先生もいたけど、そこまで踏み込んだ話はしなくて、話を聞いてくれたり薬を出すことが中心だった。私はどこかで先生に助けてほしいと思っていた。だから何故助けてくれないのだろうと絶望的な気持ちになっていた。

 

  結局自分が治そうと思わなければ治すのは難しいんだなぁと思う。もちろん周囲に頼らずにひとりで治すことは無理だけど、私はどこかで病院が全部治してくれるという気持ちでいたのだろうと思う。

   周りのことも先生のことも信用しきれず、薬も効くと思えなかった。何回も再発をくり返すうちに自分自身と向き合わなければいけなくなって、周りを頼らなければいられなくなった。薬も効くと信じて飲むようになったし、先生の言うことも聞くようになった。

 

  あとは無理せずちょっとずつ断薬できたらいいなと思う。

  

 

18年飼っていた愛猫が亡くなってしまった

  一週間前に、飼っていた猫が亡くなった。

  18歳という長寿だった。 

 

  腎臓の病気になって12月の始めから動けなくなって、じっと寝ているだけの日々が続いていた。歩くこともやっとで、フラフラしながらトイレの場所に行くけど何もできずに座り込んでいるだけ、という感じだった。

  苦しそうに息をしたり、何も食べない日があったり、もうダメかもと思うときが何度もあった。しかしその度に翌日には落ち着いて、少し元気になって食べるようになったり、少し歩いたりして、生命力の強さを感じた。

  年は越せないんじゃないかと思ったが、新しい年を無事に迎えられ、年末年始に帰ってきた兄一家にも姉一家にも顔を見せることができた。みんな心配していた。人懐こい猫だったので、みんながいるところに行こうとした。

 

  年が明けて一週間くらいはそれまでと変わらない様子でいたけど、亡くなる前日はすごく苦しそうにしていた。もうごはんも水も食べなかったし飲まなかった。

  そのまま息を引き取るんじゃないかと思ったけど、なんと次の日の朝までちゃんと息をしていた。もう横になっているだけでなんとか生きているような状態だった。でも、今までのようにもうダメかと思ってもまた少し元気になるんじゃないかと思っていた。

  その日は仕事始めで、朝猫が息をしているのを確認してから会社へ行った。

  お昼になって母から電話があり、今猫が息を引き取ったよ、と言われた。

 

  不思議と冷静に受け止めていた。なんだかまだ実感がわかなくて、そう、と答えた。しばらくして涙が出てきた。家に帰って猫の姿を見るのが怖かった。何かの間違いで本当はまだ生きてるんじゃないの、と少しだけ思った。今日がきっと一番辛いだろうと思った。

  

  仕事中は全然落ち着かなかったが、なんとか仕事をこなして帰った。帰るまでは怖くて仕方なかった。亡くなっている猫の姿を見たら苦しくて涙が止まらなくなった。哀しいとかより苦しかった。まだ体はあたたかく毛は柔らかかった。目は開いていたが、顔もまだ生きているような元気そうな顔をしていた。でも、体は硬直して心臓は動いていなかった。

 

  その日の夜は眠れないんじゃないかと思ったが、いつの間にか眠っていた。明け方に目が覚めて苦しくなったりはしたけど、朝までちゃんと眠っていた。

 

  実は四年前にも別の猫を亡くしていて、それがきっかけで私はうつになった。だから今度も体調を崩したらどうしようと思っていたし、家族も心配していた。

  しかし、四年前よりは冷静に受け止めることができていた。それは四年前のことで「死を受け止めること」に少し慣れたのかもしれないし、今回の猫が病気になって何度も良いときと悪いときを繰り返してきた中で、心の準備ができていったのかもしれない。ずいぶん長生きしてくれたから、というのもある。

 

  私は今まで「死」というものがあまりにも恐ろしくて、自分が体調が悪くなると不安になったり、家族が病気になったときも、いなくなったらどうしよう、と怖くて仕方なかった。猫のこともいつか死ぬかもしれないと思うだけで恐ろしくて、考えることすら嫌だった。それは普通かもしれないが、私はたぶん人の何倍も臆病で、恐怖に捉われるとずっとそのことを考えてしまったり、体調を崩して食欲をなくすほどだった。

 

  しかし、死というものは当たり前にあるんだなぁと猫に教えてもらった気がする。自然に亡くなるのを身近で見て、誰でも死ぬことは当たり前なんだなぁと受け止められた気がする。

 

   猫が亡くなってからだんだん寂しさを実感していった。日常の生活でああ、こんなときに猫がいたなぁとか、あそこにまだ座ってるんじゃないかとか、そういう場面で思い出す度に寂しさを実感する。

   でも、見事に自分の生を全うし見事に亡くなっていった猫に対して後悔や憐れみの気持ちはない。

   そしてたくさんの楽しい思い出をくれて、たくさん甘えて癒やしてくれたことには感謝しかない。長く生きてくれてずっと一緒にいてくれた。

   まだテレビで猫を見たり他の人が飼い猫の話をするのは辛いし、家のあちこちで猫のことを思い出してしまうけど、前よりも強くなった自分も感じるのだ。

 

 

 

 

 

今年はなんとか乗り切れて本当に良かった

 今年も無事終わりを迎える。一年前はだいぶ体調を崩してしまい、12月の最後の方は会社を休んでしまった。家の大掃除などもできずに寝ていた。

  今年はそんなことがなく、休日出勤もできて、年内最後の日まで会社に行き、家でも掃除もできて、落ち着いて新年を迎えられそうだ。本当に良かったと思う。

  思えば2年前も体調を崩してしまった。その前の年はあんまり覚えていないけど、12月はいつも忙しくて、体調は良くなかった気がする。会社も忙しく、家でも掃除や新年の準備で忙しい。まぁ12月はみんなそうだと思うけれど。

  そう思うと今年はずいぶんと成長したんだなと思う。今年の12月は、疲れたらすぐ寝る、仕事でもなるべく休憩を挟む、無理しないようにする、周りが遅くまで残業していても自分は自分と割り切って帰る、などを心がけていた。周りから怒られたり何か言われることもなく、(みんな自分のことで精一杯だったのかもしれない)良かった。周りの人たちにはありがたいと思う。

  ずっとうつ病に振り回されていたけれど、今年は前よりも病気と付き合うのがうまくなったんじゃないだろうか。体調を崩すことがあっても、前よりも回復は早くなった。前までは自分の体調を気にせずに、あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ、と思っていたが、今は疲れていたらもう休もうと思える。自分の体調をちゃんと気遣えるようになってきた。この調子で来年も行けたらいいなぁ。

 

  それと、12月の始めにうちの猫が体調を崩してしまった。9月の後半くらいに元気がなくなって、病院へ行ったら腎不全と言われ、それからは皮下注射を続けていた。注射をしていれば元気でいたのに、今月始めに急に元気をなくして、病院へ連れて行った。すると貧血がひどくて、かなり危ない状態だと言われた。

  それからは造血剤を打って、様子を見ていた。なかなか元気にはならず、ずっと寝たきりで、ごはんもあまり食べなくなった。だいぶ高齢だし、年内いっぱいまで持たないんじゃないかと思った。うちの親も、もうダメなんじゃないかと言っていた。

  私も、もう年だし仕方ないと思いつつ、怖くて仕方なかった。会社から帰ってきたらもう生きていないんじゃないか、朝起きたらもうダメなんじゃないかとビクビクしながら暮らしていた。その度にこちらに顔を向けて息をしている姿を見てはホッとしていた。

   やはりこの子がいない生活を考えると恐ろしく思い、思いつめて体調を崩しそうなときもあった。家族も、またうつ病が再発しないか心配していた。

   しかし、あまり思い詰めたりせず、ほかのことを考えようと気をつけたり、なるべくほかのことは考えないようにした。不安な気持ちはあるけど、なんとか受け止められるんじゃないかとも思う。長年生きてくれて楽しい思い出をたくさんくれたので、あまり落ち込みすぎたくはない。

   猫は元気はなかったけど、水をあげれば飲んだし、ごはんも少しだが食べた。たまに歩いたり、膝に乗ってきたりもした。良くなったり悪くなったり、一進一退だった。

  今もどうにか生きていて、生命力の強さに感心させられている。もうダメだと思ったのに、年を越せそうでうれしい。1日でも長く生きてほしいと思う。

 

  

 

「獣になれない私たち」感想

 ドラマ「獣になれない私たち」が最終回を迎えた。

  このドラマの主人公深海晶(新垣結衣)は、仕事ができて周囲からの信頼も厚いが、常に周りに気を遣って、自分の気持ちを押し殺して生きている。京谷(田中圭)という恋人がいるが、彼は元カノと一緒に住んでいる優柔不断な男性。

  晶が行きつけの店で常連客の恒星(松田龍平)と知り合い、恋になるかも?という話で、最初はラブコメなのかなと思っていた。

  しかし、初回は晶が会社の社長にパワハラを受けるわ、土下座させられるわ、電車に飛び込みそうになるわでかなりしんどい話だった。

  全体を通しても、恋愛が主題というよりは「生きにくい人たちがどうやって自分らしく生きていくか」みたいな話で、ラブストーリーというよりは、人間ドラマといってもよかった。

 

  このドラマ視聴率が悪かったらしいけど、勧善懲悪とか分かりやすい物語が人気がある中で、ちょっと分かりにくさはあったし、何より初回のハードな展開で離脱した人が多かったんじゃないか。

 

  晶の「周りに気を遣いすぎる、断れない、期待に応えようとしてしまう」という性格に共感する人は多かったみたいで、私もそういうところはあるなと思った。もちろんあんなに仕事もできないし、コミュニケーション能力もないけれど。

  ただ、私の場合はあんな状況に追い込まれたら、うつになって会社に行けなくなって、退職せざるを得なくなるんじゃないかなと思う。その分晶は強いのか、行きつけのお店があってビールが息抜きになってるから大丈夫だったのか(私はあまり飲めないので)

 

  晶のような状況に陥ってしまう人、実際たくさんいるのだろう。「ドラマのような社長は実際にいる」という意見をけっこう見かけた。理不尽な状況でも耐えて、がんばって、心をすり減らしていく。状況を変えたいと思ってもその勇気もなく、声を上げることもできず、何がやりたいのか分からないまま、ただ毎日を過ごしている。そんな人はきっとたくさんいるのだろうと思う。

 

  ドラマの内容はリアルで、なんだか苦いビールを飲んでいるようだった。劇的な展開があって、都合よく物事が解決するようなことはなく、地味に、少しずつ、勇気を持って、自分の人生を変えていく物語。

  人間は少しずつしか変われないし、自分を変えようと思わなければ変われない。実際に変わるときはゆっくりしか変われないのだ。

  人のせいにしていても、自分の人生は自分でしか変えることはできない。それには勇気が必要なのだ。

 

 それにしても最終回はよくまとまったなぁと思った。最初の方は見ててしんどかったし、最終回でまとまるのかなぁと思っていた^^;最後まで見たら面白くて、見続けてよかったと思った。

 

  このドラマは恋愛ものではないと言ったけど、恋愛や形にこだわらない人間同士の関係を描いたところが良かったと思う。今の時代だからこその恋愛ものを見たいという気持ちもあるけど。

 

  最近のドラマは昔とは違って複雑になっていたり、繊細なテーマを扱っているものが増えている気がする。個人の生き方が多様になってきて、ドラマのテーマもそれに合わせて変わってきていると思う。

  その傾向はきっとこれからも強くなっていくんじゃないだろうか。もっと自分らしく、ラクに、個性を認め、互いを尊重するような、そんなドラマが出てくるんじゃないかと予想する。

 

 

 

 

 

  

またうつっぽい

9月の終わり頃からまた体調を崩し始め、1ヶ月以上うつっぽい日が続いた。会社はなんとか休まずに行っていたけど、仕事はあまり進まなかった。なんとかやらなきゃいけない仕事をこなすだけだった。

大きいうつはこれで4回目くらいだ。小さな体調の波はけっこうあるけど、今回はかなりキツかった。会社を休むまでいかなかったのはよかったけど、とても辛かった。

最初の2回は休職して、3回目はどうにか有給でしのいで、4回目はなんとか休まずに乗り切ったので、うつへの対処は少しずつ良くなっているんだろうか。 今回のうつは、ネットで嫌な書き込みをいろいろ見てしまってから気分が悪くなって、そのあと風邪を引いてしまい、けっこうこじらせてしまい、それから父とケンカしたり、母に「まだ結婚しないの?」とか言われてイライラしたりして、なんだか調子が悪いのが長引いてしまい、なかなか治らなかったというような経緯だった。季節の変わり目で、体調を崩しやすかったのもあるかもしれない。 うつになるといつも、被害妄想に取り付かれる。前のうつでもあの人にあんなことを言われた、いつもひどいことを言われる、などと被害者意識が強くなる。ちょっとしたことに異常に腹が立って、苛立ちが収まらなくなる。 もう体も心もボロボロになっていて、大きな病気になるんじゃないかという不安に駆られる。何度もうつになって私の体は大丈夫なのかと心配になる。 よくなってきてもまだ波があり、また悪くなるんじゃないだろうかと不安になる。どうしてまたうつになってしまったんだろうと自分を責めてしまう。またうつになるんじゃないかと自信がなくなる。 ネガティヴになってしまうのも、うつの症状なのだと思う。良くなってくれば必要以上に悪くは考えなくなる。だけどほんとに辛いなぁ。この体験が良かったなんて思える日が来るのか。今はとりあえず良くなるように静かに過ごすしかない。