18年飼っていた愛猫が亡くなってしまった

  一週間前に、飼っていた猫が亡くなった。

  18歳という長寿だった。 

 

  腎臓の病気になって12月の始めから動けなくなって、じっと寝ているだけの日々が続いていた。歩くこともやっとで、フラフラしながらトイレの場所に行くけど何もできずに座り込んでいるだけ、という感じだった。

  苦しそうに息をしたり、何も食べない日があったり、もうダメかもと思うときが何度もあった。しかしその度に翌日には落ち着いて、少し元気になって食べるようになったり、少し歩いたりして、生命力の強さを感じた。

  年は越せないんじゃないかと思ったが、新しい年を無事に迎えられ、年末年始に帰ってきた兄一家にも姉一家にも顔を見せることができた。みんな心配していた。人懐こい猫だったので、みんながいるところに行こうとした。

 

  年が明けて一週間くらいはそれまでと変わらない様子でいたけど、亡くなる前日はすごく苦しそうにしていた。もうごはんも水も食べなかったし飲まなかった。

  そのまま息を引き取るんじゃないかと思ったけど、なんと次の日の朝までちゃんと息をしていた。もう横になっているだけでなんとか生きているような状態だった。でも、今までのようにもうダメかと思ってもまた少し元気になるんじゃないかと思っていた。

  その日は仕事始めで、朝猫が息をしているのを確認してから会社へ行った。

  お昼になって母から電話があり、今猫が息を引き取ったよ、と言われた。

 

  不思議と冷静に受け止めていた。なんだかまだ実感がわかなくて、そう、と答えた。しばらくして涙が出てきた。家に帰って猫の姿を見るのが怖かった。何かの間違いで本当はまだ生きてるんじゃないの、と少しだけ思った。今日がきっと一番辛いだろうと思った。

  

  仕事中は全然落ち着かなかったが、なんとか仕事をこなして帰った。帰るまでは怖くて仕方なかった。亡くなっている猫の姿を見たら苦しくて涙が止まらなくなった。哀しいとかより苦しかった。まだ体はあたたかく毛は柔らかかった。目は開いていたが、顔もまだ生きているような元気そうな顔をしていた。でも、体は硬直して心臓は動いていなかった。

 

  その日の夜は眠れないんじゃないかと思ったが、いつの間にか眠っていた。明け方に目が覚めて苦しくなったりはしたけど、朝までちゃんと眠っていた。

 

  実は四年前にも別の猫を亡くしていて、それがきっかけで私はうつになった。だから今度も体調を崩したらどうしようと思っていたし、家族も心配していた。

  しかし、四年前よりは冷静に受け止めることができていた。それは四年前のことで「死を受け止めること」に少し慣れたのかもしれないし、今回の猫が病気になって何度も良いときと悪いときを繰り返してきた中で、心の準備ができていったのかもしれない。ずいぶん長生きしてくれたから、というのもある。

 

  私は今まで「死」というものがあまりにも恐ろしくて、自分が体調が悪くなると不安になったり、家族が病気になったときも、いなくなったらどうしよう、と怖くて仕方なかった。猫のこともいつか死ぬかもしれないと思うだけで恐ろしくて、考えることすら嫌だった。それは普通かもしれないが、私はたぶん人の何倍も臆病で、恐怖に捉われるとずっとそのことを考えてしまったり、体調を崩して食欲をなくすほどだった。

 

  しかし、死というものは当たり前にあるんだなぁと猫に教えてもらった気がする。自然に亡くなるのを身近で見て、誰でも死ぬことは当たり前なんだなぁと受け止められた気がする。

 

   猫が亡くなってからだんだん寂しさを実感していった。日常の生活でああ、こんなときに猫がいたなぁとか、あそこにまだ座ってるんじゃないかとか、そういう場面で思い出す度に寂しさを実感する。

   でも、見事に自分の生を全うし見事に亡くなっていった猫に対して後悔や憐れみの気持ちはない。

   そしてたくさんの楽しい思い出をくれて、たくさん甘えて癒やしてくれたことには感謝しかない。長く生きてくれてずっと一緒にいてくれた。

   まだテレビで猫を見たり他の人が飼い猫の話をするのは辛いし、家のあちこちで猫のことを思い出してしまうけど、前よりも強くなった自分も感じるのだ。